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ひろしま・祈りの石とは?
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ひろしま・祈りの石(STONE FOR PEACE)の前身は、広島を走る市電の敷石でした。悽惨な原爆を体験したこれらの石は人の手を経て再生し、いま、平和の大切さを伝えるメッセンジャーとして、広島から世界各国へと届けられています。
被爆直後の相生橋 1945
1945年8月6日午前8時15分、広島に人類史上初の原子爆弾が炸裂、14万人の尊い生命が奪われ、市内は廃墟と化しました。爆心地からわずか200メートルと離れていない相生橋付近で使われていた広島電鉄市内電車の線路敷石は、原子爆弾がもたらした恐ろしい悲惨な場面の目撃者となりました。

◎被爆直後の相生橋
(米国戦略爆撃調査団撮影/広島平和文化センター提供)

祈りを込めて 1945
この200個余りの敷石を使い、世界平和を愛し祈念する延べ1万人の人々が、7年の歳月をかけ、人種・信条・言葉・文化の違いを克服し、戦争のない平和な世界の実現へ祈りを込め、「観音像」と文字「From Hiroshima」を一つ一つの敷石に彫り込みました。このようにして、この貴重な人類の遺産である被爆敷石は、平和の尊さを後世に伝える証し『ひろしま・祈りの石』として新しい生命を得たのです。

◎平和への祈りを込めて、祈りの石に観音の姿が刻まれた。

贈呈風景 1991
『ひろしま・祈りの石』を、世界共通の「平和希求のシンボル・メッセージ」として世界中の国が持つことにより、各国が平和の意義を再考して欲しいとの願いから、《ひろしま・祈りの石の会》が1991年5月に発足しました。以降、《ひろしま・祈りの石の会》の趣旨にご賛同いただいた在京各国大使をはじめとする外交団、そして各界の皆様の積極的なご支援、ご協力を得て、『ひろしま・祈りの石』は各国の元首に届けられています。

◎「祈りの石」第1号は、1991年の原爆記念日にペルーのフジモリ大統領に贈呈された。

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